1995年1月17日 / 午前5時46分
地の底から響くようなゴォーーーという地鳴りとともに、その揺れはやってきました。
暗闇の中、ミシミシと音を立てて崩れる何か、食器やガラスの割れる音、
下から突き上げてくる天と地がひっくり返るような巨大な力、
布団の上でトランポリンのように体が宙に浮き何度も跳ね上がりました。
そのあとは夢なのか現実なのか全く分からないような状況で、気付いた時には膝を抱きかかえた状態で小さく丸くなっていました。
それまで地震の経験がほとんどなかったのでこれが地震なんだという感覚が全くなく、
” この世の終わりが来た ” そんなふうに思いました。
揺れが収まって静かになり、起き上がろうとしたのですが自分の上に何かがあって起き上がれません。
かろうじて隙間はあるけれど、倒れた家具の下敷きになっているのかも・・
それに寝ていた布団の上にはなぜか土やガラスの破片らしきものが散乱していて(暗闇なので手の感覚ですが)
いったい今何が起こっているのか全く理解ができませんでした。
もしかしたらこのまま死ぬのかな・・とぼんやり考えていました。
それからどれくらいの時間が経ったでしょうか。外が騒がしくなってきてきました。
すると「〇〇さんのお宅が崩れている!」という誰かの声が聞こえました。
その時初めて自分が家具ではなく、崩れた家の下敷きになっていることが分かったのです。
妹と一緒に大きな声を出して、家屋の下に家族全員が埋まっていることを外の人に伝えました。
「助けたるからな!持っとれよ!」
誰かの声が聞こえて少しだけホッとすることができたことを覚えています。
その後、レスキュー隊や近所の方の助けもあり、数時間後 外に出ることができました。
2階で寝ていた母と妹と、1階に寝ていた祖父も順番に救出され、無事でした。
ただ、祖父の隣で寝ていた祖母は亡くなっていました。大きな重い梁の下敷きになったことが原因でした。
( 暗闇の中、祖父が何度も何度も祖母の名前を呼んでいたのはそういうことだったのか )
住んでいた家は、2階部分が1階に落ちて元の形状はなく、よくこの中で生きていたな・・・そう思うほどひどい状態でした。
大蛇が地を這ったかのようにたくさんの家が筋状に崩壊していて、いつもの見慣れた景色が一変、本当に地獄のようでした。
テレビで見る横倒しになった高速道路、火事で街中が燃えている様子、そしてニュースで何度も流れる、犠牲者の中にある祖母の名前。
不思議と涙は出ず、ずっとふわふわしていて、現実ではないような、映画でも観ているかのような、そんな感覚が数日間続きました。
1995年1月16日 / 地震の前日
その日は私の17歳の誕生日でした。
母が仕事帰りにケーキを買ってきてくれて、祖母はしもやけがひどい私に毛糸の靴下をプレゼントしてくれました。
そのあとなぜか祖母と言い合いになり、喧嘩をしました。
きっと些細なこと、理由は覚えていません。
ただ、思春期で不安定だった私は、たぶんひどい言葉を言ったように思います。
祖母とはそれっきり。
私はもう二度と祖母に謝ることができなくなってしまいました。
がれきの下から助けられた時、祖母からもらった靴下をはいていたおかげで怪我をしなかったこと。
両親が離婚して、母が働きに出る間、ずっと家事をして支えてくれていたこと。
私がやりたいといったことは全力で応援してくれていたこと。
感謝しかないのに、その気持ちを伝えることができなくなってしまいました。
本当に後悔しかありません。
私は祖母がすべてを引き受けてくれたのだと思いました。命もこれからの未来も。
なのでこれからは祖母の分まで生きていかなければならない、そう強く思いました。
やりたいことはできる限りする、行きたい場所には行き、会いたい人には会いに行く。
お店を始めたのも、そう。
今までこのことを話そうとすると、喉の奥が熱くなって言葉が詰まり何も話せなくなっていました。
なので誰かに話したことはほとんどありません。
今でも地震はトラウマだし、少しの揺れを感じるだけでも心臓が早くなり震えてしまいます。
今回、PCの画面に向かって文字を打ちながらも、何度も目の前が滲んで見えなくなりました。
いつのまにか体中に蕁麻疹もできていました。
なぜそれほどまでして?と疑問に思うのですが、伝えなければいけないと思う気持ちと、記録として残さなければという思いがずっとあったので
この30年という節目の年に思い切ってここに残すことにしました。
私の拙い文章、すべては伝わらないかもしれません。
でも何か少しでも誰かの心に残り、震災を考えるきっかけになってくれたら、そう思っています。
誰だって話さないだけで色々あると思うのです。
側面から見ただけで人を判断しないように、どんな人にも優しく寄り添えるようにしたいです。
後悔のないように日々を過ごすこと、それが私の人生訓であり、願いです。
毎年誕生日には、祖母とのことを思い出します。
好奇心旺盛だった祖母。
お店をすると言ったらきっと誰よりも喜んでくれただろうなと思います。
ずっと空から見守っていてくれていることに感謝しつつ、今、私の周りで私のことを大切に思ってくれている人たちにも
「ありがとう」という気持ちで過ごす一日にしたいです。